そ〜りゃあ〜そ〜りゃあ〜           えんや〜えんや〜



名前 牧祭(まきさい)
性別
住所 大阪府泉南市信達牧野
誕生日 5月31日
年齢 オッサンです(^^)/
星座 双子座
血液型 A型
出身地 大阪府泉南市信達牧野
所属 牧野やぐら保存会(若頭)
特技 笛?
好きなもの やぐら、だんじり、地車全般
嫌いなもの 納豆(人間の食うもんやと思てない)

   やぐらの思い出 
(記 2003年12月)
その1...< 綺麗やなぁ... >

 今から40年ほども前のこと、夜8時頃、国鉄(当時)和泉砂川駅上のロータリーから金熊寺方面へ向かう道を、

 灯入れしてゆっくりゆっくり進んで行く牧野のやぐらをナナメ後方から、母親に手を曳かれてじっと見つめている
 子供(幼児)が居ました。
 やぐらが見えなくなっても太鼓や笛の音が聞こえなくなるまでじっと立ち尽くしていましたが、
 やがて母親に促されて、しぶしぶ家の中に入って行きました。
 その子供は、まぎれもなく約40年前の私の姿であり、今でもその時の情景をはっきり覚えているのですが、
 暗い夜道に提灯の明かりに照らされたやぐら、提灯の中で蝋燭(当時)の炎がゆらゆら揺れて、
 すごく幻想的な光景でした。
 私がやぐらを見る角度で、ナナメ後方からの角度が一番好きなのは、この光景が目に焼きついているのです。
 時代が変わり、蝋燭が電球に変わった今も、ゆっくりゆっくり行く夜の灯入れ曳行ってほんとに良いですね。

JR和泉砂川駅上のロータリー、私が生まれて初めてやぐらを見た場所です

その2...< ええぇぇェェェ...!! >

 
私が小学生の頃、本宮の曳行が中止になったことがありました。
 宵宮の夜、かなり遅い時間だったと思いますが..私はいつものように一番好きな位置、やぐらの小屋根左側についてました。
 和泉砂川駅を下り、紀州街道を大阪方面へ曲がり(当時は一方通行ではありません)少し進んだところで「ボコッ」っと鈍い
 音がしました。見上げると、ナナッ..なんと!やぐらが進行方向に向かって左側の電柱にぶつかって、大やねが微妙に
 ゆがんでました。ウワッ!!(@_@;)と思いましたが、ゆっくりだったし、音も小さかったので本宮の曳行は大丈夫やろって
 思ってたら、当時、実家の近所に住んでた青年團のお兄さんがやぐらの下から出てきて、「アカン!心棒折れてる!」...
 エエェェェェーッ!!..当時予備の心棒なんてありません。翌日の本宮は悶々とした一日を送りました(T.T)

 もしも、もう少し手前だったら、掲示板でお馴染みのM・Mさんのご実家につっこんでるとこでした..アハハッ(^^;

その3...< もーあかん..(>.<) >

 やはり小学生の頃、当時は今と少し曳行コースが違いました。和泉砂川駅上のロータリーから、旧街道をおんどり方面へ
 踏切までは急な下り坂、前台場を下げてゆっくりゆっくり進みます。その時、私は友達と一緒に綱中の辺りを曳いてました。
 踏切警報機が鳴り始め、やぐらは一旦停止、電車の通過を待っていたその時、急に後ろから「えんや〜!!」..えッ..
 ウソッ!!みるみる緩んでくる引き綱!!..前は踏切、後ろはやぐら!!..どこで綱放して逃げよか友達と目で合図..
 それでも綱を持ったまま..もーあかん!!..その瞬間、当時の青年團の上の人が台場に飛びついてギリギリで停止
 めっちゃ怖かった...まぁ祭りしてると、目つぶる事ってよく有りますな(^^)/

その4...< やぐらに乗りた〜い!! >

 昔はなかなかやぐらに乗せて貰えませんでしたねぇ...それで、当時の子供たちは、いろいろな言い訳を考えて、
 やぐらに乗せて貰おうとしたものです。その極めつけは「提灯灯け係」...昔、提灯は蝋燭でしたから、夜の灯入曳行では
 提灯がよく消えました。夜になると、家から蝋燭とマッチを持ち出し、「提灯灯けやりま〜す(^^)/」って...子供達の間では
 争奪戦が繰り広げられました。 そう言えば、ジュースの空き缶を切って中に蝋燭立てて「蝋燭ライト!」 な〜んてやって
 ましたねぇ...電球の今は見ることができない懐かしい一コマですね(^^)...

その5...< わぁ〜...焦げるゥ..\(◎o◎)/! >

 蝋燭と言えば...昔はよく提灯が燃え上がりました..覚えているのは、国鉄(当時)和泉砂川駅前での「回せ!!」
 提灯の中で蝋燭が倒れたか、傾いたか、小屋根右の提灯がボワ〜ッ!!...「うわぁ〜ッ!! やぐら焦げるゥ..」
 青年團のお兄さんが燃え上がった提灯を叩き落として ハァ〜ヤレヤレ...(ホッ!)
 それにしても、何故か「燃えるゥ〜」ではなくて「焦げるゥ〜」でしたねぇ...あはははッ!!(^^ゞ

その6...< 美味しいぃ〜!!(*^_^*) >

 祭りの食べ物と言えば...わたり蟹(子持ちはサイコー!!\(^o^)/)、海老の押し寿司..等々たくさん有りますが
 一番の思い出はなんと言っても「枝豆」!!!..子供の頃、やぐらが当屋さんの前に止まると、青年團のお兄さん達の
 間をすり抜けて、枝豆を貰いに行ったもんです。今はビール、チューハイにスナック菓子なんかも有りますが、当時は
 決まって日本酒に枝豆...これが定番!! 丁度良い加減に塩茹でされた枝豆、本当に美味しくて、なによりのご馳走で
 祭りの一つの楽しみでした...左手に缶ジュース、右手に枝豆...今思うとけったいな組み合わせですナ(^^;
 ザルごと持って行こうとして「コラッ!何すんねん!!」って当屋のおっちゃんに笑いながら怒られたことも、今は懐かしい
 思い出です...

その7...< 祭りで死んだら本望やッ!! >

 私は小学校1、2年の頃、当時の青年團のお兄さんから、えらい怒られたことがあります。
 当時の青年会場(今の交番のところ)に休憩時間はやぐらを止めていました。やぐらの曳行開始時間になって、
 私はやぐらに近づいて行きました。すると、青年團のお兄さんに抱き上げられて安全地帯へ強制移動...ナナナッ
 何すんねん!!...またまたやぐらへ近づいて行くと、そのお兄さんに「もうちょっと離れてんと危ないどぉー」..
 その言葉に当時の私は「祭りで死んだら本望やッ!!」..「こらッ!!お前、その言葉、絶対に親の前では言うな!!」
 今思うと、なんちゅうクソ生意気なガキですな(^^ゞ  「親の前では絶対言うな!!」っていう言葉がものスゴイ衝撃的て
 その時の事は今でもはっきり覚えてます(^^)


信達神社へ向かう牧野の
稚児行列です。
右手前から2番目の子供が
当時の私です。


 昭和38年、牧野から信達神社に向けて
 稚児行列が出ました。


 牧野のやぐらを先頭に、牧野稚児行列
 旧街道を 信達神社まで
行ったそうです。

 信達神社では3台のお神輿を出し、
 仲神輿を牧野が担いだそうです...

 私は神社に行った事しか覚えてませんが
  (^^ゞ


信達神社の境内です
仲神輿の前です
当時の私と母親です(^^ゞ
よく見ると前神輿と後神輿も
一部ですが写ってますね





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